嵯峨野教会の歴史

■1938年1月9日、大槻牧師はキリストの内住体験(キリストが心の内に宿っておられるという確信)を与えられます。そのときから、「わたしはキリストの体」という確信が与えられ、大槻牧師の祈りを受けて、多くの人の病が癒されるようになりました。

1941年11月、再び中国東北部(満州)に赴任した大槻牧師は、神様の力に満たされて活動し、中国東北部に一大センセーションを巻き起こしていきました。

■1950年5月1日大槻武二牧師は、京都市右京区宇多野の現在の場所に、「聖イエス会嵯峨野教会」の小さな看板を掲げました。嵯峨野教会の建物は近所の人からは「ワン公ハウス」(犬小屋)と呼ばれていたほどの小さなものでした。
■1953年には32名の方々が洗礼を受け、礼拝の平均人数が75名に達しました。

■1955年、待望の教会堂が建設されました。

■1956年、嵯峨野教会に小さな聖歌隊が産声を上げました。後に「黎明 (しののめ)聖歌隊」と名づけられ、教会の発展と神様の御計画のために力強い働きを担うようになりました。

■創立以後20年の間に、嵯峨野教会の今日の活動の基礎が築かれました。教会は熱気を帯び、多くのメンバーが加えられました。また、そのユニークな平和活動は海外からも高く評価されるようになりました。

■1977年、現在の教会堂が建設されました


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